もっぱら、プァ・オーディオを追求・試行錯誤してます。

北羽歴史研究会の講演に行ってきました。

1月20日に、大館市中央公民館で行われた、北羽歴史研究会の講演会「英雄なき戦場-秋田藩戊辰戦争の実像-」を聞きに行ってきました。

北羽歴史研究会の講演に言ってきました。

公演を行った講師、畑中康博氏は、いとこづきあいをしている間柄で、連絡があったので講演に出かけたわけです。普段は県立博物館に勤務してます。

戊辰戦争では、秋田藩は最初新政府側、途中で奥羽列藩同盟側、最後の方ではまた新政府側となったので、東北の中では秋田県はあまり好感を持たれていない感じがします。なんというか、関ヶ原での小早川みたいな感じに見えてしまいます。

私のいとこで花輪に住んでいる人がいますが、花輪を含む鹿角地方は元々南部藩の領地ですが、秋田藩が新政府側に着いたということで廃藩置県のときに秋田県にくっつけられたとようです。でも今現在も南部文化圏で、秋田県に買い物に来るよりも盛岡なんかに買い物に行く人が多いそうです。政治的に境界を変更しても人間の意識はなかなか変わらないみたいです。

公演では、古文書から戊辰戦争に迫っていました。

幕末での侍は、経済的に貧窮してしまったため、鎧兜がない、石高に応じた兵数を出せない、鎧櫃は何とかあってもそれを運ぶ馬がない、ないないづくし。
それで領主が出陣を命じた所、早速質問書が領主に出され、それが記録として残っています。
質問の中に具足は貸してくれるかという質問もあったそうで、当時の武士の困窮が伺えます。それに対する答えは、具足がなかったらそのまま出陣しなさいだったそうで・・・・。

なんというか、当時の戦闘に赴いた武士は、戦後にいざという時に証拠として出せるように戦場でも記録していたそうで、時代劇ではでてこない戦闘の実態が浮かんでくるというか、古文書が読める人に解説してもらうと結構面白いですね。
・・・・もっとも、一瞬記憶が飛んでいる時間帯もちょっとありましたが、・・・・・・・

当時の秋田藩は、東北の中では会津藩、仙台藩、庄内藩などには勝てないため、奥羽列藩同盟に迫られるとそちらに味方し、新政府の方から命令が来ると、もう徳川家は大政奉還してしまっているので、そちらの命令を聞き、という状態になってしまっていたのですが、当時の秋田藩の領主・閣僚たちが何とかその間で生き残りをかけてジタバタしていた感じが古文書から伺えるとのことでした。

最後の方で、横手の古文書、秋田市の古文書は解読が始まっているが、大館市の古文書がまだ見つかっていないとのことで、探していただけたらとのことも話していました。

大館市は過去に3度の大火を経験していますし、戊辰戦争の後半では奥羽列藩同盟を裏切ったということで、大館市の花輪よりの十二所が焼き討ちにあったりしています。ですからもう残っていない可能性もなくはないんですが、探してほしいとのことです。旧家の方であるという方は、郷土博物館あたりに寄贈してくれたら、いずれその古文書の解読が進んで、今までわからなかった秋田県の歴史の謎が解明されるかもしれません。



おまけの動画。
スポンサーサイト
プロフィール

kaneya

Author:kaneya
もっぱら、プァ・オーディオを追求・試行錯誤してます。
真似してもいいけど、その場合は自己責任でお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
趣味・実用
3405位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
753位
アクセスランキングを見る>>
カウンター
2014年5月19日カウント開始