もっぱら、プァ・オーディオを追求・試行錯誤してます。

『信長殺し、光秀ではない』 12

kenbe氏のブログから、勝手に図面化のネタを貰っている(と言うか黙認されている)のですが、まだちょっと時間がかかります。
ところで、塩ビ管にはVP(壁が厚い)とVU(壁が薄い)があり、同じなのは実は外径です。VP125は内径がほぼφ125ですが、VU125は内径がφ125よりは少し大きくなります。どちらを使うつもりなんだろう?





光秀にはアリバイがある・彦左(83~94ページ)
---引用ここから---
 大田牛一の<信長公記>を「あれは訝(おか)しい」と筆誅を加えた者も、それは居ないではない。
 信長の死後四十年たった元和八年四月十一日に、原文のままで紹介すれば、
「さてまた<信長記>を見るに、偽り多し、三つに一つは事実だが、あとの二つは、似たような事はあったが、まあ出鱈目か。そうでなければ、根も葉もない嘘っぱちばかりなり」と、その著の<三河物語>で論破しているのは、大久保彦左衛門忠教(ただたか)で、ほぼ信長とは同時代人の彼は、「誤りだらけだ」とその具体例まであげているが、さて「信長殺しは、誰だった」とまでは書いていない。だから、この点においても彦左衛門の主人の徳川家康が、疑惑に包まれてもくる事になる。
 しかしである。<信長記>という本は、織田信長の晴れ舞台である「桶狭間合戦」の記事さえ、あろう事か、永禄三年なのに、天文二十一年と七年も遡って間違える程度であるし、この信長の対今川義元合戦の有様も、現在では調べもせず、鵜呑みで、その儘に踏襲され信じられているが、当時の彦左にすれば、まこと噴飯ものの「桶狭間合戦」であったろう。
---引用ここまで---
ここでの信長記とは、信長公記のことです。信長公記は権威づけされすぎていると、前の章で八切止夫氏が書いていましたが、その理由が出始めてきたという感じですね。また、徳川家康も信長殺しの黒幕として語られることがあります。優秀な息子を信長の命で切腹させざるを得なかったことの恨みと言われています。徳川政権の黒衣の宰相、天海の正体はじつは生き残った光秀で、光秀の家臣の娘であるお福が光秀の乳母となったのも、光秀が信長を殺してくれたからその礼もあり取り立てたという説です。戦国時代には謎が多すぎる。

---引用ここから---
 それに変な話だが、「天下の御意見番、大久保彦左衛門」という講談は、徳川家の御政道讃美のPRとして、江戸期から辻講釈に出ていたのに、肝心な<信長記>の方は、ずっと年代が遅れて、明治十四年になって初めて<史籍集覧>の第十九集に収録されて、一般には公開されたのである。つまり江戸期においては発禁扱いの<お止め本>の流通禁止のものだったから、その<史籍集覧>の解説にも、
「これ町田久成氏の秘蔵に係る寛永期の珍写本にして、世にも稀らし」と書かれている。
<信長記>は、この町田氏が秘かに隠匿していた一揃の他には、内閣文庫本の寛延三年に筆写されたという<原本信長記>と、やはり旧前田侯爵家で秘密に蔵われていた一部きりの古写本の三点しか、現在には伝わっていない。
---引用ここまで---
ヤフー知恵袋に書店で手に入れることができる信長公記は、町田本であると書かれていました。<原本信長記>の説明がようやくここに出てきました。一般にはこれら3つは信長公記の別バージョンと考えているみたいです。

---引用ここから---
 しかし、明治四十四年刊の、
<史籍雑纂>第三巻に納められている亨保年間に発表された建部賢明の、
<大系図評判遮中抄>によると、
「寛文より元禄にかけて、近江の百姓の倅にて源内なる者あり、偽って『近江右衛門義綱』と詐称し、米塩の資を得るため系図偽作を業となす。また、この者は戦国期に材をとりて、古書にみせての贋造書も多くかき、いま世人これを知らずに真実として扱いているもの、<中古国家治乱記><異本難波戦記><浅井三代記><武家盛衰記><三河後風土記>曰く<××軍記>など、その数、枚挙にいとまなし。<北越軍談>のごときも、源内の偽書を引用し、それを論証とするは、これ愚なり。そもそも、この源内というは、青蓮院の尊純親王に稚児奉公中、銀製仏具を窃取し放逐されし後も、その盗癖生涯やまずして云々」とある。
(一部略)
 さて、この「贋本つくり」の天才ともいうべき源内は、元禄戌辰、つまり1688年まで生きていて、書きまくったと伝わる。すると<町田本信長記>として伝わる一部が、寛永期といえば、それは彼が贋作生活を始めた二十六歳頃までの年号に当たるし、前田侯爵家の写本も元禄期のものである。
<原本信長記>のごときも、それより後期の写本である。これぞ、まさしく源内の偽書の筆写でないとは、誰が言いきれるだろう。(なにしろ、こうした本は印刷されたのではなく、一冊ずつ手書きされて造本されたものである)
 もしも大田牛一自身のものならば、なんぼなんでも、大久保彦左に指摘されるように、三つに一つしか事実に符合せず、誤りだらけというのは、ひどすぎるから、彦左が晩年に入手して読んだものは、事によったら源内がリライトした海賊版でなかったか。という疑念さえも生じてくる。もちろん源内も商売として盛大にやっていたからには、源内グループというライターを多く抱えていて、彼等に書き写しを次々とやらせていたのであろう。
 そうなると、今日伝わっている<信長記>は、どれも三種とも、これは贋造物という事になってきて、真実性はもてなくなってくる。
---引用ここまで---
歴史の事実を追求する難しさの一因が説明されています。コピー機なんて当時はあるわけもなく、筆写では、偽造のつもりがなくても写し間違いということもあるだろうし、伝言ゲームをやっているうちに最初とは変化してしまうこともよくあることです。さらに偽造して儲けようという人物まで現れたのでは、混乱が深まってしまいます。

でも、資料はこれくらいしかないからということで、信長公記の肝心な部分の原点を引用し解説することにすると八切止夫氏は書いています。

---引用ここから---
「信長公、本能寺にて御腹を召され候こと」

 六月朔日、夜にいり、老の山(大江山)へ登り、右へ行く道は山崎天神馬場、摂津国への道なり。左へ下れば京へ出ずる道なり。
 ここを左へ下り、桂川をうちこえ、ようやく夜も明け方に、まかりなり候。
 すでに信長公御座所の本能寺を取り巻きの勢衆、五方より乱れ入るなり。
 信長も、御小姓衆も、
「当座の喧嘩を、下々の者共が、しでかし候や」と、思召され候のところ、一向に、そうではなく、彼らは、ときの声をはりあげ、御殿へ鉄砲を打ち入れ候。
「これは謀反か。如何なる者の企てか」
 と御諚があったところ、森乱丸が申すようには、
「『明智が者』と見え申し候」
 と言上したところ、
「‥‥是非に及ばず」との上意に候。
 隙もなく直ちに御殿へ乗り入れ、面御堂(めんごどう)の御番衆も御殿へ一手になられ候て、御馬屋より、矢代勝介、伴太郎左衛門、伴正林、村田吉五が切って出て、討死。
 この外、厩仲間衆の藤九郎、藤八、岩新六、彦一、弥六、熊、小駒若、虎若、その倅の小虎若を初めとし二十四人が、そろって御馬屋にて討死、
 御殿の内にて討死をされた衆。
 森乱丸、森力丸、森坊丸、の三兄弟。
 小河愛平、高橋虎松、金森義入。
 魚住藤七、武田喜太郎、大塚又一郎
 菅屋角蔵、狩野又九郎、蒲田余五郎
 今川孫二郎、落合小八郎、伊藤彦作
 久々利亀、種田亀、針阿弥、飯河宮松
 山口弥太郎、祖父江孫、柏原鍋兄弟
 平尾久助、大塚孫三、湯浅甚介、小倉松寿
 らの御小姓掛り合い、懸り合い討死候なり。
 この内、湯浅、小倉の両人は、町の宿にてこの由を承りて、敵の中に交じり入り、本能寺へ駈け込みて討死のもの。
 お台所口にては、
 高橋虎松が暫らく支え合せ、比類なき働きなり。
 信長、初めには、御弓をとりあい、二、三つ遊ばし候えば、いずれも時刻到来候て、御弓の絃が切れ、その後、御槍にてお戦いなされ、御肘に槍疵をこうむられて引き退がられると、
「女は苦しからず、急ぎ、まかり出よ」
 と、これまで御傍にいた女共の附き添っていた者共に仰せられ、追い出さられ、
「御姿を、敵にお見せあるまじき」
 と、思召され候てか。もはや、すでに火をかけて、次第に焼けて来たり候ゆえ、
 信長はそのまま殿中の奥深くへ入らせたまい、内側より、御納戸口をたてて閉め、
 それにて無情にも、御腹を召され。

 これだけが問題になる原文の全貌である。最後の「御腹を召され‥‥」などという結び方など迫真の表現で、疑う余地もないような如実的描写で締めくくられている。
 だから、これが織田信長の最後を伝えるところの、唯一無二の史料として扱われ、徳川方の史料であるところの<当代記>六月二日の条も、殆ど、これと同一内容のものが納めて入っている。ただ<原本信長記>の方だけは、
「明智が者と、見受けられ」が「明智が手の者」となっている。これも同一視されやすいが、いざ解明にあたると、これはこれで相当な差異が、当時の用兵上にはある。勿論これは対比してあとで解明する。
---引用ここまで---

この部分の八切止夫氏の解釈は結構長くなるので次回に回しましょう。
スポンサーサイト
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2017/02/17(金) 21:07 | | #[ コメントの編集]
コメントの投稿
【Font & Icon】
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

kaneya

Author:kaneya
もっぱら、プァ・オーディオを追求・試行錯誤してます。
真似してもいいけど、その場合は自己責任でお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
趣味・実用
3142位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
700位
アクセスランキングを見る>>
カウンター
2014年5月19日カウント開始