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『信長殺し、光秀ではない』 15



もうなんでこんな記事書くのかと、皆さん思っているでしょうが、ひとつは広告が出ないように、もう一つはこの読みにくい作品を読むために記録を残そうという大変個人的な事情で載せています。



森蘭丸は美少年か・青い実(102~108ページ)
今まで乱丸と表記していたのが、蘭丸となっています。<信長公記>での表記が乱丸、小説等では蘭丸ということでないかと想像します。いずれその説明も出るのかなと思います。
ここでは、森蘭丸を追求するということなんでしょうが、ここはばっさりカットしても実は問題なさそうなブロックです。マカオでの調査の日の思い出のようなものしか無く、愛しく思っていた若い現地の女性が嫁に行って寂しいとか、ホテルの若いボーイを見て森蘭丸のことを思い出したとか、そんな感じのことが書かれているだけです。

森蘭丸は美少年か・利用(108~115ページ)
森蘭丸の絵について、
---引用ここから---
 さて絵であるが、これは絵本よりも早く錦絵が出ていた。
 錦絵というのは江戸時代のものと思っていたら、これも明治二十九年本所から極彩四色刷の三枚続きで刊行されていた。どうも蘭丸や本能寺は、明治に入っての産物らしい。
 では、なぜ、こんな頃になってからブームになり、その後、大正、昭和となって今も続いているのかと思ったら、終戦時までは軍部推薦のものだ、ということが判ってきた。
 (一部略。日清戦争に勝った後、)
三国干渉を受けた。ロシアと衝突する立場に立たされた。(一部略)、国力の差があまりにも大きすぎた。小国が大国に勝つ方法が真剣に研究された。寡をもって大に当たる戦術を編み出すために、陸軍参謀本部は躍起になった。資料とすべき参考文献を漁った。そこで、ようやく見つけ、陸軍大学が採用したのが、明治十四年刊「史籍集覧」第十九である。
 つまり、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」というが、織田信長の(桶狭間奇襲作戦)が採り上げられた。
 勿論これは、解明する意志さえあれば「あんな非常識な出鱈目はない」と、すぐにも解きほぐしてゆけたろうが、そんな不都合なことはしなかった。他には毛利元就の厳島合戦ぐらいで、これといって別に何もなかった所為らしい。そして、大正、昭和と軍の指導方針は、これを踏襲した。
 そして、軍部の都合において、「人間、僅か五十年、化転のうちに比ぶれば、あに定めなき、人の世や」という「小敦盛」の謡曲も有名になったが、つまりは、
「死のうは一定。それ進め」と、ばかり私たち国民はガダルガナルやインパールの桶狭間へ追いたてられていった。もちろん奇勝する予定だった。だが信長みたいに義元の首級がとれなかった。なにしろルーズベルトもチャーチルも、本陣を、そこまで進めてこなかったせいだ。
「戦局苛烈」という言葉が使われ出した。
「玉砕精神」が国民精神総動員になった。
 青年が、ナパーム弾や火焔放射器のホースで、みんな真黒に焼かれて死んで行った。
 補充がつかなくなった。「産めよ増やせよ、地にみてよ」と、エホバの言葉まで蘇って出てきた。人間の増産を励行させるため、(一部略)、国策として「結婚奨励」が強行された。顔の美醜は問わず、第二の健全な少国民が産出できる母体こそ「愛国の花嫁」とされた。(一部略)
 だが、マカオの葡萄酒だって、まあ呑めるものは、少なくとも二十年もの、三十年ものである。だから人間も、インスタントに今日つくらせても、それはまだ赤ん坊で、明日立って歩けて、間に合うというものではない。仕様がないから軍部は、それ迄のつなぎに、青い果実のような少年を使いだした。しかし、それには模範的なサンプルを必要とした。
 Loyalty つまり「忠義」という、モラルの為に、その生命を提供させる雛型である。
---引用ここまで---
つまり、そういう戦時当時の軍部の都合により、桶狭間が強調され、兵力不足を補うための青年兵募集のために森蘭丸は美男で忠義者でなければならない。ということが解説されています。

次いで、森蘭丸の実情探しになります。

きりが良いので今日はここまでにして続きは次回。
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