もっぱら、プァ・オーディオを追求・試行錯誤してます。

『信長殺し、光秀ではない』 27


私の記憶では、講談社版が最初の版だったような気がします。値段も安いしこちらを貼っておきます。



信長は腹を切らない・当代記
前半は、本能寺の変で防戦した信長や小姓の武器についての追求が書いてある。小姓たちは刀を持って防戦している絵が有名になってしまっているが、本能寺は寺であるし、武器を持ってきた記録がないそうで、およそ三十人いた小姓と同じくおよそ三十人いた厩(うまや)番の人間には武器がまったくない。その他にいたのは、当の信長と配膳の係としての女中衆のみである。(濃姫の記録は結構早い段階で見えなくなっているようです。ですから、本能寺で濃姫が戦ったということはありえないみたいです。)
信長だけは槍と弓を小姓が捧げ持ってきていただろうが、他の武器はなかったと八切氏は考えています。武器どころか、鎧櫃も持ってきていないから、鎧もない。
・・・・・
ということは、・・・・・・

信長が奮戦したとしても、一人では三時間半持ちこたえることはできないから、武器を持たない小姓たちが、弓・槍を持った敵将を防戦しきったということになります。まったくありえない話です。

絵のとおり、小姓が刀を持っていたとしても、戦闘力では刀は槍にはかなわないそうです。だから戦国時代の武将の武器は槍・弓・鉄砲が大部分であったそうで、関ヶ原の役に参加した二天一流の宮本武蔵はほとんど武功を挙げることは出来ず、細川家の食客で終わっているのもそのせいだと八切氏は書いています。

信長は弓が切れた後、槍で防戦したが傷をおったので、小姓たちに任せ、奥にこもって火をかけたと小節などで書かれています。それで、火の出た建物の中で探し回ったとしても、・・・・・

八切氏は、本能寺の敷地は一町四方と書いています。一町は約109mだそうです。本能寺は平屋だったそうで、せいぜい四間か六間くらいの建物だったのではないかと考えています。推定百二十平方米くらいの客殿は、暮しの手帖の花森安治の火災実験によると、およそ十二分から十五分となっていると書かれています。(八切氏は一時期消火器販売に乗り出し、こけし型の消火器を売っていたようです。そして、暮しの手帖の製品テストで叩かれたためか、消火器販売は大失敗しているようです。ですから、ここの部分は、その経験から書いているのかなと感じます。)

・・・・・・・・・
ということは、それほど部屋数がないのであっという間に信長の隠れた部屋は判るだろうし、三時間半持ちこたえる前に本能寺が焼け落ちてしまいます。

ということで当代記の内容はあまり信頼できないと考えているようですが、ここの部分は重要視しているようです。

----引用ここから----
 さて、この次に<当代記>は、はっきりと、
「焼死に給うか。終いに御死骸見え給わず。惟任も不審に存じ、色々相尋ねけれども、その甲斐なし〔御年四十九〕
とでている。
----引用ここまで----
信長の遺骸は、発見されなかった、ということを、八切氏は重視しているようです。



おまけの動画。

おそらくDVD化ができないのはこの箇所が原因か。
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
【Font & Icon】
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール

kaneya

Author:kaneya
もっぱら、プァ・オーディオを追求・試行錯誤してます。
真似してもいいけど、その場合は自己責任でお願いします。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
趣味・実用
3192位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
725位
アクセスランキングを見る>>
カウンター
2014年5月19日カウント開始